プロペラ機

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 久しぶりに投稿します。

 2年ほど前からお世話になっている古道具屋さんで、プロペラ機の残欠を購入しました。大きさは20センチ四方に満たない程度、アルミダイキャスト製と思われる金属部分に、天然木のプロペラがついています。おそらく模型飛行機の部品でしょう。燃料で動く本格的なラジコンがあるのを聞いたことがあります。

 

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 小さくても機械なので、細部の作りもきっちりしています。

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読みにくいですが、プロペラ部にREVーUP/TMYと記載があります。これがメーカー名なんでしょうか。だとしたら昔のタミヤ製なのかな?はっきりしたことは分かりません。
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 反対側のプロペラ。こちらにもなにか書いてあります。

 

 …ともあれ、本来の役目や文脈から切り離されて見られるモノというのはミステリアスで面白い。先入観が排されるとかたちそのものが見えてきます。これなんかは、ちょうど今日訪れた東京国立近代美術館の常設展(特別展は横山大観展。今日は最終日で大盛況でした。)で見たアルベルト・レンガー=パッチュ(Albert Renger-Patzsch,1897ー1966)の写真と近い感覚で眺めたくなります。レンガー=パッチュはノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)の代表的な写真家です。

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被写体のかたちを、縦長の画面にまるで標本のようにきっちりと収めています。(給水塔シリーズで有名なベッヒャー夫妻は、こうした建築の標本のような撮影手法を、タイポロジー的手法にまで発展させたと言われます。)

 

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 新即物主義については明るくありませんが、一般的にはヨーロッパの第一次大戦後の工業化・大衆化を背景とする美的感覚を反映した一種のリアリズム運動、と理解されています。ちなみに、日本では関東大震災が転機になり大衆化・都市化が進展。その後の1930年台に新興写真運動として新即物主義流入・展開します(こちらは5月6日まで恵比寿の写真美術館で展覧会をしていました)。

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写真家、アウグスト・ザンダーの『20世紀の人間』を例に取ります。この作品は、基本的に「どこの誰か」を示す形式の「肖像写真」であるにもかかわらず、ザンダーはタイトルにおいて個人の名前・年齢を一切明らかにしませんでした。また、画面にきっちり収まった静的な構成は標本のようです。これらの手法によって、ザンダーは「個人性」を剥ぎ取られた匿名の「人」が現前する写真を生み出しました。これは、経済主体の大衆化や、都市への人口集中のなかで、絶えず見知らぬ人とすれ違い、眼差しを交わし続ける同時代の人々の経験に基づいて選び取られた手法だったのでしょう。こうした経験があってはじめて、「人」のかたちそのものを対象とする精神がうまれたのではないでしょうか。

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このプロペラも、その独特なかたちを楽しみたいと思います。即物的に…。